「二匹のさかな」  

李 敬烈  (気功研究室室長)

会報45号より 1988,1,30発行

プロローグ

太極拳の図象として用いられる太極図は、本来道教体系の中で用いられたものであった。
それは陰陽が無限に変化していることを示しているものであるといわれる。陰と陽という全く
正反対の性質をもつものが無限に変化して万物は生成され、維持されるという太極思想の
すべてがこの図に示されているという。  

日本ではデンデン太鼓の図象として一般に知られているものであるが、考えてみるとこの
デンデン太鼓もクルックルッと裏、表を規則正しくひっくり返して音を出すのだから、陰陽の
規則正しい変化による現象といえるわけで、まさに太極思想を現わしているものといえる。  
最近ではサーファーのシンボルマークにもなっているが、これも寄せては返す波の無限変
化を象徴したものであろう。  この太極図の示す太極思想の起源は古い。おそらくは道教
の始まりと共にあるに違いない、が、我々が今日見るような体系に整えたのは、宗の時代の
周濂渓である。彼は朱子によって大成さる宗学(儒教)の基礎を作り上げていった人物で
あるが、本来道教の思想・象徴であったものが儒教に変貌するあたりは、なかなか興味が
つきないところである。  

一般に中国思想は、純粋な思惟による認識論的思想ではなく、思想家の何らかの修業
経験によって、深く体得された個人的悟りの体系化である。複雑な言葉を巧みに使って
表現された技巧的思想も基本的には、その思想家個人の深いうなづきがもとになっている。
この太極思想も、その例外ではない。

もともとは、道士の修練の図として伝えられていた太極図を、「窮禅の客」と称された
周濂渓が自身の深い修業体験を基礎として儒教的思想で読み取っていったのである。  
よく悟りの話をする場合、山に登るたとえが出される。道は違っても、頂上は同じだ。
同じ頂上を知ってても、人に道を教える場合は幾通りもの方法がある、と。
同じ太極図が道教から儒教へと、その存在の位置を変化させられた背後にも、この種の
レトリックが働いていたのかもしれない。  

このような個人の深い冥想的体験を現わした思想を理解し、体得しようとする場合、そこには
何らかの修業が不可欠のものとなる。個人の修業を通してつかみえた思想は、また個人の
修業を通してのみ体得されうる、という一種宗教的匂いのする考え方であるが、太極思想の
場合もやはり、それを体得するための修業方法は伝えられている。  

中国には太極拳に限らず太極と名付けられる練功方法は非常に多い。昨年二度目の来日で
自らの思想体系を充分に披露した焦国瑞氏の気功太極十五勢も、太極拳が生まれる前から
民間に伝わるという太極の修業方法をまとめたものであったし、胡耀貞氏の静動気功の中で
紹介されている太極というものも、そうした文脈に位置づけられるものであった。が、これらは
いずれも太極と名付けられているが、太極拳の太極ではなく、もっと直接的に太極図、太極
思想を理解、体得する方法論としての太極練功法なのであり、実は太極拳自身、こうした一連
の太極功法の一功法としての性格を持つものなのである。  このことを理解しておかないと、
中国の気功法を見る上で混乱をきたしてしまうことになる。太極〇〇法とあるから太極拳と同じ
ようなものだろうと思うと全く違っていたということも、ままあるのである。  

我々にはなじみ深い天津中医学院の周稔豊氏による太極六段選は、その意味では太極思想
からの直接のものではなく、太極拳からのものであった。「太極拳の動きを集約させていくと、
つまるところ幾つかの円の動きになる。それをまとめたものが太極六段選である」という紹介が
示すように、それは太極へ至るための方法論ではなく、太極拳の要約版なのである。
が、これもまた、太極へ至るひとつの道であることに間違いはない。ひとつのりんごをいくら
小さく刻んでも、一つのかけらから全体の味を味わうことができるようなものであろうか。  

太極拳、とくに楊式では非常に重要視される「太極拳論」は、体裁の上では少なからず周濂渓
の「太極図説」に範をとっているようである。「太極もと無極」から始まるこの文章は終始身体内
の陰陽の変化を説き、その規則をうまく把握し活用することを強調する。
そして、それが完全に体得された状態が太極の悟りであり、四両の力で千斤の重さを弾くという
極意であるという。

一般にこれは太極拳を通して初めて得られる境地とされるが、私には太極思想が完全に体得
された場合、身体、武術の方面ではこのようになるのだということを現わしているように思える。
逆に太極拳論にいう悟りに達したということは、身体、武術方面では太極の悟りに達した、これ
は最終的な太極に至る一里塚である、といったような感じがするのである。  

太極思想を現わす太極図、その極意に至るため太極練功法、その太極練功法の一つとしての
太極拳、そして太極拳論、となってくると、カタカムナに見る潜象世界と顕象世界の異なる次相的
相似象や、プラトンのいうイデア論になってくる。太極図はじっとしたまま無限の変化を飲み込ん
でいるかのように、さまざまな思想となり、さまざまな姿を呈してきた。太極の太極たる所以かも
しれない。今は我々の前に太極拳として姿を現わしている。  

太極図の陰陽を中国人は二匹のさかなと見る。丸くなったところが頭、陰中の陽、陽中の
陰が目、細くなっている部分がしっぽである。中にはエラ、ウロコまで書き込まれた太極図
もある。この二匹のさかなが広大な大陸を自由自在に泳ぎまわり、思想は創られた。
無限の軌跡を残して。